目から鱗の尺八上達術 −あなたの努力は報われていますか?−

【第6回】息は口から吸うべきか? 鼻から吸うべきか? 2010年6月(281)号

邦楽は「鼻から」?

 息は口から吸うべきか?鼻から吸うべきか? こんなことを議論しているのは尺八界だけかもしれません。尺八関係のネットを見ても教則本を見ても「鼻から吸うべき」が優勢です。本当でしょうか?
 多くの管楽器奏者にアンケートをとってみたら、口から派が大半で、どっちでも良いがその次、鼻から派はごくわずかです。なのに尺八だけどうして「鼻から吸うべき」なんでしょうね?
 これは、「鼻から」派の人々は尺八の最終目的を「古典本曲」に定めているからなのです。

古典本曲とは

 一定のリズムでテンポを刻んでいる音楽を中心に考えると、息を吸うのもそのテンポの中でせざるを得ませんから、速い曲や、ゆっくりでもぎりぎりまで音を出した方が良いような曲の場合には、息を吸っている時間は短くなります。鼻から吸ったのでは間に合わないことが多いのです。こんな単純な理由からも「鼻から吸うべき」などとは普通言わないはずなのです。
 古典本曲を考えてみます。ここには一定にテンポを刻むなどという概念はありません。1つの音型を一息で吹ききり、吹ききった後にもしばらく吸うことも吐くこともしない「無」「静寂」の一瞬が存在して初めて「一息で吹ききる音型」が完成されます。
 演奏者の内なる精神性を表現する音楽ですから、それなりに考え抜かれた「演出」が必要です。もしも1つの音型を吹ききった瞬間に、次の準備のために口を大きく開けて息を吸ったなら、「無」も「静寂」も精神性もぶちこわしです。
 古典本曲の良さは演奏している人間を見せたり、表現するのではなく、その音楽に込められた精神性や情景を観客と共有することにありますから、演奏者そのものに注意をひくような動作はない方が良いのです。
 このような理由ならば「鼻から吸うべき」というのは説得力があります。しかし、その場合においても、吹き終わりわずかに開いている口からも同時に吸った方が動きも少なく、合理性があります。
 またこれは、尺八を演奏している人には民謡やポップス、現代音楽や新しい邦楽、それ以前に初心者などがたくさん存在していることをあまり考えていないような「勝手な決めつけ」でしかないような気もします。実際、「鼻から」を唱えている人の童謡などの演奏でも、思いっきり口から吸っているのですから、どうも特殊な「訳あり」の事情のような気がしてなりません。

息の通り道

 息が出入りするのは口と鼻ですね。尺八を吹くときには鼻から息が漏れたのでは困りますから、鼻のルートを閉ざしています。鼻のルートには弁があります。鼻が詰まったときなどに「クンクン」としますね、そこに弁があります。その弁で鼻のルートを閉ざすことが出来、口からだけ息を出して尺八を吹くことが出来ます。
 その弁を閉じた状態で「口からだけ」息を吸うことが出来ます。口を大きく開ければ大量に息を吸い込むことが出来ます。
 では「鼻からだけ」息を吸うにはどうすれば良いのでしょう? 口のルートを閉ざす必要がありますが、そちらのルートには弁はありません。
 そう、口を閉めれば良いのですね。もうひとつ方法があります。口を開けたままでも舌で閉ざすことが出来ます。この方法を使って「鼻から息を吸う」ことが可能となります。
 しかし、尺八を吹くときにはいったん閉じた舌や口を開けなければなりません。このときに不都合なことが起きてしまいます。

「口から」が良いわけ

 舌は「トゥッ」口は「プッ」というような音を出してしまいます。この音を出さないためには息を止めて準備しなければなりません。いずれにしても息を吸うときと吐くときで状態を切り替えなければならないので、とても時間が無駄になります。
 また、鼻と口から肺が満タンになるまで息を吸い込み、その時間を測定しましょう。ストップウォッチなどなくてもその差は歴然と口から吸うのが早いです。
 そして何より初心者の訓練にとって問題なのは、鼻から吸おうと思うと、常に口を閉じた状態にしているために、口の中を広げたり舌を自然に下げている状態を学ぶ機会が少なくなってしまうことです。そして「声を出すように吹く」という概念も持てなくなってしまうのです。
 ということで「鼻から吸う」のは上級者の「もうワンランク上の演奏をするための」テクニックと考えて、初心者やテンポを刻む音楽では「口から吸う」ことをまずは訓練した方が上達の近道です。