目から鱗の尺八上達術 −あなたの努力は報われていますか?−

【第26回】どっちが良い?−1 5孔と7孔、琴古と都山 2012年2月(301)号

5孔尺八 VS 7孔尺八

 私は5孔です。だから5孔が良い…とは言いません。これは演奏家がどういう仕事を主にやっているか?によるはずです。
 私のように、自分で演奏したい曲だけを演奏する立場の人は、歌手のようなもので、自分の得意とするキーで演奏できます。「自分の一番気に入っている尺八のこのキーで吹きたい」というわがままが通用します。その場合、わざわざ小孔を開けようとはほとんど考えなくて良いのです。
 しかし、尺八演奏の仕事はそんなことだけではありません。スタジオミュージシャン的な仕事は、僕のようなわがままな仕事より遙かに多いのです。こういう仕事を主にやっている人は7孔が有利なんです。
 最近の若い尺八演奏家に7孔が少ないのは、ライブを中心とした「自己表現」を主な演奏としている人たち、すなわち「ソリスト」が多いからでしょう。また、民謡などは人のキーに合わせて何本も用意しなければなりませんが、裏吹きという五度変えて吹く場合もあり、その場合にも7孔がとても便利です。
 有名な演奏家では山本邦山、ネプチューン海山、藤原道山さんなどソリスト系の人は皆5孔ですね。村岡実、宮田耕八朗さんなどは7孔です。それぞれ演歌での伴奏や音楽集団での楽員としての立場が主な仕事です。

 さて、どっちが良いのか?
「ソリスト」を目指すなら5孔「演奏家」を目指すなら7孔
 といって良いかと思います

6孔尺八

 製作者としては、小孔と言ってもやはり楽器に開ける孔ですから、本当は最初から開けて調整しておきたいのが本音です。しかし、下に開いている小孔は人それぞれに小指の位置に合わせる必要があるために「既製品」が作れない悩みがあります。
 しかし、中継ぎに開ける中指の小孔は、通常そこには指が置かれているので、最初から開けておき、普段は指で閉じておいて、必要なときには使うことが可能です。そう考えると6孔尺八が様々な条件から考えて、標準になってもおかしくないと考えています。この孔があれば、膝で管尻を閉じて大甲の「ツ」を出す不便さからも解放されます。

琴古流 VS 都山流

 これははっきり言って、合併してほしい。
 琴古流の古典などに含まれている奏法を学ぶと、自然と腹式呼吸に導かれるような仕組みが感じられます。もちろん琴古流の人でも、全然腹式呼吸や良い吹き方が出来ていない人もいますから、絶対…ということではありません。
 また、情緒を重んじる関東では、三曲合奏において、派手な都山流よりも琴古流が好まれているために、都山流演奏家も「琴古風」の省略演奏を自分で考えながら演奏しているのが現状です。
 都山流は今はいくつかに分裂しましたが、元々大きな全国組織で、新曲の開発や流通に優れています。現在、新しい楽譜はほとんどが都山形式になっていますから、楽譜は都山流に統一しても良いくらいでしょう。
 即興で「尺八らしく演奏して」と言われた場合、ほとんどが古典的な「琴古流的」演奏をするだろうと思います。残念ながら、新興勢力だった都山流としての特徴は、人々の記憶に刻み込むことは出来ませんでした。今、「都山流的」と思われている奏法のほとんどは、山本邦山さんの演奏を参考にしていると言ってよいでしょう。
 この山本邦山さん的演奏方法には、先ほどの琴古流の古典同様に、良い演奏をするためのエッセンスが多く含まれています。しかし、残念ながら都山流の基本形と呼ばれるものの中にはそれを見つけ出すことは出来ません。
 元々都山流は、それまでの尺八との違いを際立たせることで発達しましたが、長い時間をかけて練り上げてきたそれまでの尺八に完全に対抗できる奏法までも、一人の力で作り出すことはとうてい無理なことでした。中尾都山はあの膨大な箏曲ベタ付けの尺八をアレンジし直し、その間に作曲や精力的な演奏旅行もやっていたわけですから無理もありません。
 その後、山本邦山さんが琴古流を参考に独自の奏法を開発、その奏法は逆に琴古流にまで影響を与えました。
 このように、琴古流と都山流が常に競い合い、常に良い演奏を認めてそれを「基本」として学ぶようになっていれば、合併などしなくても両者とも同じようなレベル、そしてそれほど両者差のない演奏を目標とする派閥(スクール)に成長していただろうと思います。
 今のままだと、違いをお互いに際立たせるだけで、両者共にその組織に参加するメリットを感じません。今は流派に関係なく「良い演奏をする人」に習うのが良いだろうと思います。
 尺八人口の減少を嘆き、国の教育に頼る前に、今のままで良いのか?おおいに考える時期だと思います。