目から鱗の尺八上達術 −あなたの努力は報われていますか?−

【特別編】「パクパク奏法」は琴古流にあった! 2016年8月(355)号

 2014年2月号を最終回(第50回)とした三塚幸彦氏の連載「目から鱗の尺八上達術」。上手くなるにはどうすれば良いのか?  そこで考え出されたのが究極の発音方法「パクパク奏法」だ。が、実はそれは琴古流の伝統奏法に隠されていた。ここにそれを解明する。
 尺八吹奏の歴史を西洋クラシック音楽と対比させながら考察する。それは琴古流、都山流の原点、そして尺八の「癖」がいかなるものかを明らかにすることにつながる。(編集部)

個性のある音とない音

 ひと昔前の演奏家は最初の1音を聞いただけで誰かが分かりました。特に尺八三本会の青木鈴慕、山本邦山、横山勝也の3氏は同じ1音を発音するにもその発音方法が違い、音の立ち上がり部分だけで演奏者を特定できるほどわかりやすい。当時の若い尺八愛好家はみな興奮して聴いたものでした。
 私も何度も聴きに行きましたが、一体何に興奮していたのでしょう? まずは音の大きさに驚き、3人で演奏しているのにそれぞれが全く独立して聞こえてくる。それまでのアンサンブルの概念とは違って、「個性と個性のぶつかり合い」「音楽による格闘技」などとも呼ばれたものです。
 プロ尺八演奏家が一堂に会して演奏を披露する「尺八大演奏会 狂宴」を聴いた田辺洌山氏は本誌で次のように語っています。「昔の演奏家は1音を聞いて誰が演奏しているのか分かるほど個性的な演奏家が多かったが、最近の若い演奏家は、演奏テクニックは信じられないほど向上したが、皆同じ音に聞こえる」。よく聴くとみんな個性があり、それぞれに違います。しかし、確かに三本会ほどインパクトのある変わった演奏家がいないのは確かです。
 私も似たような感覚を持ったことがあります。日本音楽集団の尺八演奏は「三本会と比べるとずいぶんおとなしい演奏だな」と感じつつも、個別の楽器にではなく、音楽全体に熱くなっていたことを思い出します。
 この差はどこから?
 そしてどちらが尺八演奏にとって好ましいのでしょう?
 このことをきちんと整理しておかないと、「上達」の目標を定められないかも知れません。
 いろいろな音楽を聴いていると個性を思いっきり出して歌ったり演奏している音楽は普通と思えるほどあふれています。ポップス、歌謡曲、ジャズ、ロック、民謡、演歌…ジャンルをあげれば切りがないほどどれもこれも個性的です。同じ曲であっても、歌う人、演奏する人が変わるとメロディーさえも、ある部分が延びたり短くなったり、強弱さえも変わってしまい、全く違ったイメージになることさえあります。
 ところが、クラシック音楽についてはどうでしょう? オーケストラが変わると全く違った演奏になるかというとそんなことはありません。もちろんよく聞き比べると、いろいろと違っているのですが、音の長さを変えてしまうといった基本的な部分の変更はしていません。個性丸出しで演奏しているオーケストラ団員というのも見たことがありません。オーケストラは世界中にあるのに、同じ曲は同じように演奏されています。
 その他の音楽は人が変われば違った演奏になります。尺八は民族音楽ですから人が違ったら演奏が違うという分類になりそうですが、その辺はどうなのでしょう?

クラシック音楽の発展の仕方

 西洋クラシック音楽も元々は尺八などと同じような民族音楽が発展したもので、楽器同士でアンサンブルをしようと試みることから始まっています。日本だって三曲合奏などをやったり歌舞伎や能の音楽で様々なアンサンブルは行われていますが、何が違うのでしょう?
 それは楽譜を統一しようと考えたことと、同時に演奏上の癖を排除しようと考えたことです。

●楽譜の統一
 尺八も箏も三味線も、太鼓も鼓も、それだけでなく流派が変われば同じ楽器でも楽譜が違います。これを統一して誰もが同じ楽譜で話し合いが出来るようにしようと考え出したのが五線譜です。
 尺八など民族楽器が使っている楽譜は奏法譜(タブラチュア)と呼ばれるもので、どの孔を開閉する、またはどの弦を弾くという奏法が書かれていて、必要な音は奏法を伴って間接的に分かるという楽譜です。五線譜はそうではなく、音そのものの高さや長さが直接目で見えるように工夫されたものです。
 同じ楽譜で演奏できるということは、違った楽器同士で楽譜を交換して演奏してみることも簡単にできるということで、それは意外なおもしろさが発見されたことでしょう。いろいろな楽器が集まっても、楽譜形式は1種類で良いのですから、音楽を作る楽しみは大きくなりました。
 いろいろな楽器を集めてそのために作曲をする人、作曲した人のために演奏をする人が現れ、それらはどんどん専門的になっていきます。つまり、作曲を専門とする作曲家、演奏を専門とする演奏家が現れ、演奏家が集まったオーケストラが編成されるとそれを監督する指揮者が現れました。
 作曲家が作った音楽を忠実に再現できるようにするには、不便なことはなるべく解消しようとします。不便とは、たとえば作曲家が頭の中で考えた音が出せない楽器の機能上の不便。それは楽器の改造、改良で解決しようと努力しました。
 もう一つは演奏する人の勝手な解釈と癖です。

●演奏上の癖の排除
 演奏者の癖や楽器独特の奏法など、それがあって良い場合もありますが、西洋クラシック音楽の世界では作曲した人の意思と無関係に出てくる「癖」はどんどん取り除かれるようになります。
 たとえば尺八で同じ音が続いた場合、指を素早く開け閉めしてピョンピョンという音を挟んで音を区切ります。世界中の民族楽器の笛類も同じ奏法で音を区切っています。しかし、西洋クラシック音楽では、その音と音の間に挟まっているピョンピョンという音は楽譜に書かれていないので、やってはいけない奏法とされ、その代わりにタンギングという奏法が発明されました。音と音の間を無音にするという作戦です。
 このように、いくら良かれと思って、または親切心であっても指定されていない音は出してはいけないルールが出来上がっていきます。 これは設計図通りに作られたものはどれも同じものになるという物作りのルールと同じです。製作作業をする人が「ここはこの方が良いと俺は思う!」などと勝手に作っていたのでは同じものが出来ないどころか、完成できないことにもなります。
 こういうルールの中で求められる演奏家とは「勝手なことをしない」「設計図通りに完璧にこなせる」人材だったというわけです。

●音楽再生システムの完成
 優れた人材をたくさん集めるとそれだけ大きな音量を確保できるので、広い場所、大勢の聴衆を相手に大音量で音楽を聴かせることも出来るようになりました。
 そして一定のレベルに達した演奏家と楽譜さえあれば、そこに作曲家が作った芸術的な音楽がいつでも、どこでも再現されるという音楽再生システムが完成し、楽譜を媒体として西洋クラシック音楽はラジオもテレビもない時代に世界中に広まったのです。演奏家が大移動しなくても、楽譜だけ送れば良いのですから。これはデータさえ送れば、コンピュータで全く同じように作品などが再現できるのと同じような感覚だっただろうと思います。
 この西洋クラシック音楽のシステムは特に音楽教育の基礎としても充実していることから音楽教育に取り入れられていきます。五線譜のシステムはあらゆる音楽を解析することも可能な優れたもので、世界中の民族音楽が分析され音楽は神秘的なものでも謎めいたものでもなくなっていきました。世の神秘的と思われていた様々な現象が科学的に証明されていくことと同じです。これは音楽にとって大きな変化でした。

流通システムの変化が民族楽器に光

 もちろん芸術的な音楽だけが作られていたわけではなく、オーケストラの発展と共に大衆的な音楽も当然たくさん作られていました。ただし、それらは民族音楽と同様にある限られた地域や人々の間では共感を得られるものの、なかなか世界中に進出できるような力を持てませんでした。
 しかし、ヒトラーの登場で音楽は一変します。ヒトラーのプロパガンダ(政治的意図をもつ宣伝)のために作られたPA装置の出現です。それまで訓練しないと大勢の前で、またはオーケストラ相手に歌うことなどは出来ませんでしたが、声を電気的に増幅することで音量バランスが取れるようになると、ささやくように歌うことや、ロックバンドのように数名でコンサートホールを響き渡らせることができるようになってきます。
 同時にその模様は始まったばかりのラジオやその後のテレビで電波を通じて世界中に伝えることが可能になり、西洋クラシック音楽が成し遂げた「楽譜」による流通から、音楽は音としてレコードやCD、電波という形で流通するように変わっていったのです。音量の小さな、改造もされていない民族楽器などにも大きなチャンスが到来します。
 ラジオを通じて聞いて好きになった人がレコードを買う。その人達がコンサートに来る。足りない音量はPAを使い補強する。個性があれば好きになってくれる人がいるかもしれません。様々な人が様々な音楽を作り出し、「ヒット」するようになります。PAシステムのおかげで、幼少期から高度な訓練を受けてきたわけではないけれど、個性を持ったアーティストが個性的な音楽表現をし、それを多くの人に聴いてもらえることが可能になったのです。  これらの音楽に求められるものは「個性」ということになります。
 しかし、それらの音楽にもオーケストラやそこに属している楽器達の役割「勝手なことをしない」「設計図通りに完璧にこなせる」人材の助けは必要ですから、彼らはクラシック音楽という芸術音楽を再現するだけではなく、ポップスやロックなど様々な音楽の中でも活動の場を広げてゆくことになります。
 で、どうすべきか?
 その前に日本の尺八事情を少しだけ。

日本の尺八事情

 尺八には琴古流と都山流が2大流派としてありますが、ご存じのとおり都山流が現れたのでそれまで尺八をやっていた人や会派が集まって琴古流を名乗ったといいます。琴古流とは一つの組織ではなく集合体のようなものです。都山流の出現は尺八の世界を大きく変えることになります。

●都山流の発展
 日本にも西洋音楽の波が押し寄せていたときに、中尾都山は全く新しいやり方で尺八の普及を始めます。それは楽譜の改良による楽譜中心の尺八音楽普及でした。
 ロツレチという奏法譜でありながら可能な限り五線譜の形式を取り入れました。他の楽器の人には通用しないものの、尺八を演奏している人には便利なまま、しかも尺八譜を通じて五線譜の基礎的な知識も得られるという画期的なものでした。
 奏法も、それまで古い時代から伝わってきた、習わなければ習得できないような奏法は一掃して、文章で説明可能な奏法だけにし、わざわざ中尾都山本人が指導に行かなくても楽譜だけで音楽が流通できるシステムを開発したのです。
 あっという間に都山流は全国に広がりました。この広がりかたは西洋クラシック音楽が楽譜を媒体にして世界中に広がった様子ととても似ています。
 楽譜を中心にするということは「癖」という個人的な特徴は排除するということでもあるのですが、楽器は基本的にそのままでした。5つの指孔しかない楽器的構造はそのままにして民族音楽としての立場は守る、しかし、余計な癖のような奏法は排除し、楽譜によって様々な音楽に対応できる、そんな立ち位置を確立しようとしたのだと思います。

●尺八の解放
 ジャズで有名になった山本邦山、歌謡曲・演歌で有名になった村岡実、フュージョンで有名になったジョン海山ネプチューン、そしてご存じ藤原道山、尺八世界チャンピオン岩田卓也…彼らは全て都山流出身です。おそらく五線譜と尺八普の橋渡しをした都山譜の開発は、尺八の活躍する場を解放することに繋がったのではないでしょうか?
 尺八は身近な音楽を演奏し、身近な存在になりました。楽譜は音楽の壁を取り払い、尺八が様々な音楽シーンで活躍できることを証明しました。そして、これを読んでいる皆さんのように、「自分も何か演奏したい。だから上達したい」、その思いがいま渦巻いているのではないでしょうか?
 そして、好き勝手に個性だけを主張するしかなかった時代から、尺八という音色を使った音楽を作る人が出てきて、そこに雇われるという道も出来てきたことで、以前のように強烈な個性だけでやって行ける時代ではなくなり、不変的な尺八という楽器の音だけで音楽をやろうという演奏家が増えてきたのが最 近なんだろうと思います。
 中尾都山が何を考えていたのか、そこを深く考えると、都山流としての体裁を保つためだけに生きたのではないことが分かるはずです。
 尺八人口が減っていると言われます。それは現存する組織の名簿に登録されている人の数だろうと思います。今のまま琴古流と都山流を分けて、まるで違う楽器のように扱い説明しているようでは、それらに所属する人口は減るだけでしょう。流派に分かれることなく、全てを網羅した指導方法は出来ないものでしょうか?

目標をどこにおくか

 これまで書いたことは、分かりやすくするためにかなり極端な話と理解していただきたい。その上で分類すると、西洋クラシック音楽のように、作曲家が書いた楽譜を忠実に再現する目的の演奏家は「勝手なことをしない」「設計図通りに完璧にこなせる」人材であり、その他の音楽を志す人は強烈な「個性」が必要ということになるでしょう。いくら強烈な個性があっても、人とコミュニケーションが取れない人は、1人でやるしかありません。他の演奏家の助けを必要としたり、少しでも他人とのコミュニケーションが必要な場合には「あまり勝手なことをしない」「そこそこ設計通りにこなせる」ぐらいにはなっている方が良いでしょう。
 「個性って言われても、まだ自分の何処が個性なのかわからないし、当面地道に努力したい。別にプロになるわけでもないし」という(どちらかというと私もそんな感じなんですが…)人は、凄い!と言われないまでも「尺八って良い音ですね」と言われる程度の尺八としての音の「個性」を持ち、また、「あまり勝手なことはしないけれど、ちょっと思いついたらやってみる。そういうことはしないでくださいと言われたら直ぐにやめる」程度の順応性と冒険心を持ちつつ、「そこそこ設計通りにこなせる」ように努力するのが良いのではないでしょうか?
 要するに、最低限その楽器用に書かれた楽譜なら読めない楽譜はないという状態です。元々民族楽器ですし、雇われることを想定していないので、そういった教則本などは発達しませんでした。今後もオーケストラの仲間入りをすることもないでしょうから、出てこないだろうと思います。なので、これは一般的なポピュラー音楽などの演奏家のようにいろいろ演奏しながら身につけて行くことだろうと思います。
 「凄い!」と言われないまでも「尺八って良い音ですね」と言われる程度の尺八の音としての「個性」って何でしょう?
 どんな楽器もそうなのですが、力まず普通に豊かな音を出したときに「わーっ、良い音だな」と感じるものです。弦を弾く楽器なら、それは初めての人でも探せるかも知れません。息を使う楽器はそれが出来るまでに苦労を伴います。このことをどうにか書き表そうとしたのが本誌で3年間続けた「目から鱗の尺八上達術」でした。これについて詳しく書くと3年かかるので、最近指導の中に取り入れている「琴古流的発音方法」について書いておきます。

琴古流奏法から学ぶ良い音の出し方

 実は琴古流は発音方法の中に、私が3年もかかってやってきた「パクパク奏法」を一連の発音方法としてちゃんと隠し持っていたのです。琴古流の一つの癖のようになってしまったので、都山流ではそれを排除したのですが、分かって演奏する分には音の立ち上がり部分の個性を磨いたり、ブレスの仕方、息の吐き方、口の作り方まで教えてくれる素晴らしい奏法です。
 琴古流と言っても一つの団体ではなく、それぞれの個性の集まりですので琴古流は「こうです」と言い切ることは出来ません。私が知っている琴古流ということでご理解ください。
 三本会が演奏する『風動』(杵屋正邦作曲)という曲の冒頭部分は五線譜にGの音が3人それぞれに書かれています。音が1つしか書かれていないのにそれぞれいろいろな装飾をしてその音を発音しています(これによって尺八は勝手に吹いて良いんだ…と思わせてしまったのかも知れません)。その中で青木鈴慕氏が演奏しているのが私の知っている「レ」(G)の吹き方です。『鹿の遠音』をはじめ様々なところでよく使われます。

●「レ」に隠された尺八の基本
 まず手順です。
 図@の運指表をご覧ください。1、2、3を連続して吹くと、音としてはドファレになります。
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1、最初のドは低めでしかもまだちゃんと音を出すためには吹いていないところです。この辺を言い表すことは難しいのですが、ここが一番重要なところです。大げさに口を開けずに息を口から吸い、そのまま折り返すように息を吐きながら次の「ツ」(F)に向かいます。
2、「ツ」になる瞬間に4孔を叩くように閉じることで、破裂音のような「ツ」が出ます。この破裂音を出そうとしてやたらと力んでいる人がいますが、力まなくても意外な破裂音になることが分かると、この奏法は成功です。
3、後はさりげなく「レ」(G)にするだけの奏法です。この「レ」も弱い息から次第に太く多めの息にして自然なボリュームアップが出来ると、なお格好良くなります。
4、終わりも重要です。プツッと切れないように、切り際も注意深く。
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 1、2、3の音の一瞬の移り変わりをイメージしたのが図Aです。
 この奏法は先に口を完全に作ってから息を吐くのではなく、「まだ口が開いている状態から息を吐きつつ、口を作って行く」それが出来ないと、この奏法はただのドファソという音の羅列になってしまいます。
 不完全な、音ともつかない音から完全を通り越した破裂音にまで一気に上り詰めて、充実した美しい音に至り、しかも一度膨らましてさりげなく去って行く。こういったフレーズともつかない単なる1音のために付加された装飾的な発音の中に、尺八の基本的な音の出し方、息の吸い方、消し方全てを潜ませて伝えていたのかと思うと脱帽です。

●パクパク奏法
 図Aをもう一度見てください。1は無音から音が生まれ、2で目的の音に達するまでを学ぶことになります。これは「音の立ち上がり」を自由にコントロール出来る能力を身につけることになり、1の時間を十分に取ることや、ほとんど取らずに立ち上げる能力を養うことが出来ます。
 この奏法では1の後に2という別な音に移りますが、その発音方法さえ習得できれば、目的の音が無音状態から生まれて目的の音にたどり着くまでをコントロール出来る、つまり「最速の音の立ち上げ」もこの奏法から学ぶことが出来ます。この様子を取り出し、解説しようと試みたのが「パクパク奏法」です。
 3と4の部分では一度発せられた音をどのように変化させて、そして消えて行くかのデザインを学ぶこととなります。この一度発せられた音がデザインしやすいことは尺八の大きな特徴と言えます。
 皆さん鹿威しをご存じですか? その音を声で表そうとすると私は「スコーーン」と表現したくなります。実際には水に濡れた竹なので、「コッ」程度なのですが、頭の中には「スコーーン」と鳴り響きます(きっと映画などの影響だろうと思いますが)。最初の「ス」は動き始めと、音が出る前の「今から始まるぞ!」というような状況を表していると思います。そして「コーン」と延ばすのは残響を表しています。
 今回紹介した「レ」の琴古奏法はこのように想像の世界、まるでコンサートホールに鹿威しが置いてあるかのような表現に思えます。その場がどんな場なのか、映像も浮かんできませんか?

 たった1音なのに様々なものを表現している、そんな音の魅力が皆さんを引きつけたのではないでしょうか? 私自身、特別読譜力に優れていた訳でもなく、個性や特徴のある音を出せた訳でもなく、この魅力的な音を自分で出来る範囲の音楽で使ってみたい、そんな思いだけでこれまで活動してきました。
 どんな人にも有意義な、一番基本的な「上達法」って何でしょう? それを考えた「目から鱗の尺八上達術」でした。最終的に「パクパク奏法」に行き着くのですが、これを単行本にして近々邦楽ジャーナルから発行予定です。余計な力を入れずに、これまで生きてきた中で培われた能力(息を吸うこと、吐くことなど)だけでここまで出来る、そんな上達術です。是非もう一度、一緒に学んで行きましょう。